神社・古墳めぐり / 尾張の式内社めぐり / 藤嶋神社

藤嶋神社

式内藤嶋(ふちしま)神社は、あま市七宝町に鎮座する藤島神社に比定されている。

「藤島」はこの地の昔の地名で、江戸時代には藤島明神と称し、現在は「藤島さん」と呼ばれている。

【所在】

あま市七宝町秋竹柏田509に鎮座する。

この地は、古代海人族の居住地であった。

木曽川・日光川・庄内川河口一帯の海岸線は、江戸時代初期から行われた干拓の結果、現在は伊勢湾に突出しているが、近世初期まではその海岸線は、名古屋市富田町から七宝町の南部を経て佐屋町南部に至るもので、古くは、藤島神社が鎮座する地まで海岸線が迫っていたと考えられている。

【祭神】


祭神は、市杵嶋姫命。

祭神については、不詳とされていたが、市杵嶋姫命が定着したのは、明治になって編纂された「特選神名牒」以降とのこと。

祭神が、市杵嶋姫命となった根拠は詳らかではないが、市杵嶋姫命は、北九州宗像地方に勢力をもっていた海人族の首領宗像氏に奉斎されていて、古代以来、海上交通の神として信仰厚く、尾張の海人族が海上交通の市杵嶋姫命を当地に奉斎したと考えるのは至当のこと、と考えられている。

【由緒】

「天武天皇白鳳4年の創建」と伝えられているが、根拠は詳らかではない。

通説では、天武天皇の時代(673~686)に「白鳳」という年号はなく、通説では天智天皇の時代の白雉(650~654)の別称とされているので、式内社調査報告では、「白鳳年号は削除すべきであろう」としている。

そして、「天武天皇4年に宮社の制度が定められたから、それによる述作だろうか」としている。


【社殿】


社殿は、南向きに建つ。

拝殿・祭文殿・渡殿・本殿と並ぶ。

本殿は、流造りで、千木・鰹木はない。


拝殿正面には「五七の桐」の紋。

 
 

本殿前に、陶器製と思われる狛犬が置かれている。


【参拝記】

2011年11月4日、そのころは、名古屋の実家に住んでいて、運動不足で体重は増えるわ体調もあまり快調とは感じなく、11月4日から天気のいい日は時間をみつけては自転車をこいで神社めぐりをすることにした。

4日は、まずはあま市(旧海部郡)七宝町の式内社の「藤島神社」まで片道40分ほど走った。

このころ使っていた自転車は、サビサビのママチャリで変速ギアもなく、庄内川など川を越える時の坂道はきつかった。

佐屋街道を西へ走り、福田川を越えて県道139号を北へ少し行くと、道路沿いに藤嶋神社はあった。


参道は長く、二の鳥居をくぐると石製の透し塀がある。

 

透かし塀の上部は例によって龍が彫られているが、下部は海にゆかりの神社にふさわしく、「波間を飛ぶ千鳥」。


社殿の向って左奥の鳥居の向こうに、小屋の中に「甕」が祀られていてる。

 

説明板はないので何かは解らないが、甕の中にはお札のようなものがたくさん入っている。

 

摂社に秋葉社があるそうだが、境外にあるらしい。


拝殿の床下に、誰が置いたか、大黒さまの像が置かれていた。


大黒さまといえば、恵比寿さまもないかと探したが、その姿はなかった。


由緒など、より詳しく記述された印刷物が掲示板に貼られていた。